セリカ、カリーナEDの陰に隠れがちだったトヨタ・コロナクーペ。中古車市場では超希少?

みなさんこんにちは!今回ご紹介するのは、スポーツカーというよりも、スペシャルティカー、または単に2ドアクーペと呼んだ方がしっくりくる「トヨタ・コロナクーペ」です。1980年代半ば、トヨタは実に多くの車種を生産していて、その理由の一つに「一つの車種、もしくはプラットフォームをベースに、多くの兄弟車を開発していた」というものがあります。

コロナクーペも、そんな経緯で開発されたクルマの一つです。結局フルモデルチェンジされることもなく、同じスタイリングを持つ直接の後継車種も登場せずに終わってしまった、1代限りのモデルとなってしまいました。同じトヨタのセリカやカリーナEDの影に隠れるように、ひっそりと目立たない存在だったコロナクーペ。今改めてスポットを当てていきたいと思います。

トヨタの中核車種だったコロナ


出典:ウィキメディア

コロナクーペを紹介する前に、そのベースとなったモデル「トヨタ・コロナ」について振り返っておきましょう。コロナは、トヨタの中でもかなり古くから存在する中核モデルで、2001年に「コロナプレミオ」が販売終了となるまで、約半世紀に渡り生産され続けていました。カローラ、クラウンと並ぶ、トヨタの代表的なセダンの一つです。

初代モデルが登場したのは1957年。2代目モデルは1960年に早くも登場していますが、これは初代モデルがあくまでつなぎのモデルとして急遽開発され、市場に投入されたからでした。しかし、満を持してデビューしたはずの2代目コロナも、タクシーとして酷使された場合などに剛性不足が露呈。ライバルのダットサン・ブルーバードに比べると完成度の高さや販売面でも及ばず、トヨタはまだ国内2位のメーカーに甘んじていました。ブルーバードとはこの後も熾烈な販売競争を繰り広げ、その激しさから2車種の頭文字を取って「BC戦争」と呼ばれるようになります。

参考:トヨタ・コロナクーペ買取専門ページ!

1964年登場の3代目モデルで、初めてブルーバードを販売面で打ち負かし、また輸出でも日本車における単一車種輸出台数の新記録を更新して、トヨタは輸出面でも日本一の座を奪取することに成功。その後も約3年から5年のペースでフルモデルチェンジを続けていき、トヨタの屋台骨を支える1車種として成長していきます。

多くの派生車種を産んだコロナ


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大きな転機となったのは1983年。コロナとしては8代目となるT150/160型が登場しました。それまでFRだったコロナに、初めてFFが採用されたのです。トヨタは当時FF化にはかなり慎重な姿勢を見せており、同年1月に最初に発表されたのは5ドアハッチバックの「コロナFF」で、前輪駆動車と後輪駆動車を併売する方針が取られました。遅れること9ヶ月、同年10月にようやく4ドアセダンがフルモデルチェンジを果たし、主力グレード全てが前輪駆動となります。

1984年以降は、このコロナのシャシーをベースに多くの派生車種が開発されました。カリーナED、セリカ、そしてコロナクーペです。
カリーナEDの初代モデルは1985年に登場。セリカのシャシーを流用した4ドアピラーレスハードトップで、車高が低く流れるような美しいデザインは多くの人々の心を掴み、発売初年度から記録的大ヒットを飛ばしました。ピラーレスの4ドアハードトップはトヨタとしては初めて採用したデザインで、当時「トヨタの傑作」として賞賛を集めたのです。

セリカも1985年に4代目モデルがデビュー。同じくFFのコロナのシャシーをベースとしていたため、セリカとしては初の前輪駆動モデルとなりました。多くの曲面で構成された美しい流線型デザイン、所有欲をそそるリトラクタブルヘッドライト、そしてトヨタ初のベベルギア式センターデフ(手動デフロック付き)をもつフルタイム4WDシステムを搭載した2リッターの最強モデル「GT-FOUR」の追加、さらに1987年にはアメリカでの生産工程を含む「コンバーチブル」の発売など、トヨタを代表するスペシャルティカーとして、セリカはその立ち位置を盤石なものとしていました。

兄弟車の陰に隠れて


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コロナ、カリーナED、セリカと兄弟車にあたるコロナクーペがデビューしたのは、やはり1985年のこと。スタイリングとしてはオーソドックスな2ドアクーペで、駆動方式はベースとなったコロナ同様、FFのみとなっています。セリカのラインナップがリフトバックだけとなり、従来からのクーペを求める層の穴を埋めるモデルとしての意味合いもありました。リアからの眺めは、同時期のセリカとの共通点を感じさせるものの、端正なノッチバックスタイルにまとめられています。ヘッドライトのデザインはリトラクタブルではなく、通常の横長のヘッドライトを装備していました。破綻したところがない、バランスの取れた端正なデザインではあるのですが、他の兄弟車に比べればインパクトが足りない、地味なエクステリアと感じられるかもしれません。

当時の購買層にも、コロナクーペのデザインは地味でインパクトに欠ける、と思われていたのでしょう。兄弟車のカリーナEDは爆発的大ヒット、セリカも好調な売れ行きを見せる中、その2台に隠れるようだったコロナクーペの販売は全く振るわず、1989年には早々に販売を終えてしまいました。生産台数は少なく、現在の中古車市場で見かけることは稀で、2019年11月現在の流通台数は1台のみとなっています。

オーソドックスな2ドアクーペ


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コロナクーペのボディサイズは、全長4,415mm、全幅1,690mm、全高1,295mmと現代の基準からするとかなりコンパクト。当時の2ドアクーペと考えれば、平均的な大きさでしょうか。ホイールベースは2,525mmと長めで、後部座席もきっちりと3座用意されているため、車検証上の定員は5名となっています。サスペンションの形式は、フロントがマクファーソンストラットに、リアがストラットと、ベースとなったコロナと同様。当時のトヨタ車に数多く採用されていた、実績のある形式となっています。トランスミッションは、5速マニュアルと4速オートマチックが設定されていました。

搭載されたエンジンは、当初は3種類が用意されました。全て直列4気筒で、1.6リッターのDOHC、1.8リッターのSOHC、そして最上位モデル用の2.0リッターDOHCです。このうち1.6リッターのDOHCエンジンの型式名は「4A-GELU」で、AE86型カローラレビン/スプリンタートレノや初代MR2に搭載されたエンジンと基本的に同一です。トヨタを代表するスポーツエンジンの一つですね。

2.0リッターのDOHCエンジンの型式名は「3S-GELU」。スポーツツインカムと呼ばれる、ヤマハ製シリンダーヘッドを装着したエンジンで、グロス値で160psを発生しました。肉厚の鋳鉄製シリンダーブロックを持つこのエンジンは、チューニングのベースに多く用いられたほか、のちにハイオクガソリン仕様、可変バルブタイミング機構の追加、高圧縮比化などが行われ、最終的に210ps(アルテッツァに搭載)まで出力を向上させます。2000年台まで活躍する、息の長いスポーツエンジンとなりました。

全車DOHC化を果たすも、ほどなく販売終了

1987年に行われたマイナーチェンジで、1.6リッターエンジン車が廃止。代わりに2.0リッターのDOHCで、ヤマハ製ではなくトヨタ内製のシリンダーヘッドを搭載したエンジン、いわゆる「ハイメカツインカム」を採用したモデルがラインナップに加わります。

1988年には1.8リッターSOHCエンジンが廃止となり、代わりに1.8リッターDOHCでハイメカツインカムを採用したモデルが設定されます。これによって、コロナクーペに搭載されるエンジンは全てDOHCとなりました。

1989年には特別仕様車などが投入されるも、9月には販売を終了。後継者として用意されたのは「コロナEXiV」でしたが、クルマの形式は「4ドアハードトップクーペ」であり、2ドアクーペのコロナクーペとは全く違う車種でした。コロナクーペは4年という短い歴史に幕を下ろし、カタログから消滅してしまいます。

ひっそりと登場し、特に注目を集めることなく消えていった悲運のクーペ、トヨタ・コロナクーペ。かつて多くの車種がラインナップしていた時代だからこそ生まれたクルマ、とも言えるかもしれません。中古車市場で見かけることも稀なクルマですが、消えていくにはまだ早すぎる、と思うのは筆者だけでしょうか…。

[ライター/守屋健]