角ばったスタイリングと豪快な加速!モータースポーツでも活躍した三菱最後の後輪駆動車、スタリオンを紹介

みなさんこんにちは!今回は、三菱自動車工業が生産していた最後の後輪駆動車、スタリオンを紹介します。現代では全く見ることのなくなった直線的なスタイリングに、リトラクタブルヘッドライト、そして強力なエンジンを搭載した、豪快なスペシャルティカーでした。

レースでも活躍したスタリオン、現在の中古車価格はかなり高騰しています。この記事では、今も多くのファンを惹きつけるスタリオンの魅力に、改めて迫っていきたいと思います!

仮想敵はポルシェ・924ターボ


出典:ウィキメディア

三菱・スタリオンが販売されていたのは、1982年から1990年のこと。ギャランΣ・エテルナΣのプラットフォームを流用し、縦置きのフロントエンジンで後輪を駆動するFR車で、軽自動車を除く三菱最後の後輪駆動車となりました。スタリオンはその歴史の間にフルモデルチェンジは行われず、後継車はアメリカ市場向けがエクリプス、国内向けがGTOとなったため、一代限りで終わってしまったクルマということになります。

スタリオンは、角ばったデザインにトルク重視のエンジンなど、アメリカ市場を強く意識したクルマとなっています。リトラクタブルヘッドライトにスラントしたノーズ、全体的に角ばった力強いスタイリングは、当時流行したロボットアニメにも例えられ、多くのファンの憧れの的でした。後期にはブリスターフェンダーで武装したモデルも追加され、その近未来的なスタイルは映画やドラマの劇中車としても活躍しました。

北米市場での競合車種はポルシェ・924ターボが設定されましたが、スポーツカー純度の高いポルシェに比べて、スタリオンはリアルスポーツカーとは言い難い点がありました。それが、当時すでに旧態化していたボール・ナット方式のパワーステアリング。ハンドリング性能を高めるために、ステアリングのギアレシオはかなりクイックに設定され、一定の評価は得られるものの、ステアリングフィールの鈍さは払拭できず、924ターボの精緻で正確なハンドリングには対抗できませんでした。とはいえ、スタリオンは運転が楽しく、穏やかなハンドリング特性を備えた優れたスペシャルティカーに仕上がり、かつ924ターボの3分の1の値段で手に入るということで、北米市場では人気のクルマとなりました。

参考:三菱最後の後輪駆動車、スタリオン買取専門ページ!

北米での人気が高く、パーツの入手は容易


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北米での人気が高い、という点は、のちにスタリオンの大きなメリットとなります。スタリオンは、クライスラーにもOEM供給され、ダッジ・コンクエスト、プリムス・コンクエストの名前でも販売されました。安価、強力かつチューニングの耐性が高いエンジン、後輪駆動、アメリカ車にも負けない存在感のあるデザイン、これらのスタリオンの特徴は、北米のファンの心をしっかりと掴み、大量のアフターパーツが販売されました。

アメリカでは多くのサーキットでセミワークス体制、あるいはプライベーターのスタリオンが耐久レースに参戦。クライスラー、日産、マツダ、アウディといったワークス勢を相手に健闘しました。現在でも、多くのプライベーターがヒストリックカーイベントでスタリオンを現役で走らせています。

現在も絶え間なく続いている北米の人気のおかげで、スタリオンは国内の純正部品こそないものの、アメリカのサードパーティ製の部品が非常に充実しています。中には純正部品の欠点すら改善している高品質なパーツもあるほど。日本での入手には時間がかかりますが、国産旧車にありがちな「部品がなくて走らせられない」という事態は、スタリオンでは無縁です。そういった意味でも、スタリオンは安心して走らせられる国産旧車と言えるでしょう。

高度なチューニングにも耐える頑丈なエンジン

スタリオンに搭載されたエンジンは、当初はG63B型2,000cc直列4気筒SOHCで、キャブレター仕様の自然吸気エンジンと、インジェクション仕様のターボエンジンのふたつでスタートしました。ターボエンジンのスペックは145psで、0→400m加速は16.1秒という俊足ぶりを発揮。85mm×88mmというロングストロークが生み出す豊かなトルクが、こうした性能を支えました。スタリオン登場の翌年、1983年には国産市販車初の空冷式インタークーラーが装備され、燃料噴射ノズルの拡大、最大過給圧のアップなどが行われた結果、最高出力は175psに一気に上昇しています。

さらに、翌年の1984年には、日本初の可変バルブタイミング機構を備えたシリウスDASH3x2が登場。吸気側2、排気側1のバルブを備えた電子制御可変過給圧ターボとインタークーラーを備えたエンジンで、最高出力(グロス値)200ps/6,000rpm、最大トルク(グロス値)28.5kgf·m/3,500rpmと、グロス値ながらリッターあたり100psの大台に到達しました。

スタリオンの最後期、ブリスターフェンダーが装備されワイドボディ(3ナンバー)となった1988年からの「GSR-VR」には、2,600ccの直列4気筒SOHC2バルブ・インジェクション仕様のインタークーラー付ターボエンジンが搭載されました。スペックは、最高出力が175ps/5,000rpm、最大トルクが32.0kgf·m/3,000rpmと、特に強大なトルクを発生。4気筒エンジンとしては世界最大クラスの排気量で、強大なトルク由来の豪快な加速が特徴でした。

これらスタリオンに搭載されたエンジンは、ロングストロークが生み出す優れた中低速トルク特性と、重量は少々かさむものの、頑丈で耐久性に優れた鋳鉄製エンジンブロックを備えていたことで、モータースポーツ用のベースエンジンとして長く愛されていくことになります。

目覚ましいサーキットでの活躍

ラリーのイメージが強い三菱ですが、スタリオンはサーキットが主戦場でした。グループAとグループNのそれぞれのカテゴリーで活躍し、多くの耐久レースでも勝利を収めました。資金の豊富なワークス勢に対し、セミワークス体制のチーム、そしてプライベーターたちが互角以上の戦いを繰り広げたことは、今でも語り草となっています。

日本でグループAのレースが開催されたばかりの頃は、海外勢、つまりボルボ・240ターボやBMW・635CSi、フォード・シエラの速さについていける国産車はほとんど存在せず、唯一スタリオンだけが対抗できました。なぜスタリオンだけが戦えたのかというと、スタリオン登場の翌年、1983年からイギリスのグループA選手権に参戦していたから。1985年には優勝を含めて数多くの入賞を記録するなど、多くの実績を残しての「凱旋帰国」だったのです。

結局、スタリオンが日本のレースに参戦したのは1986年から1988年の3シーズンのみでしたが、日本でのグループA黎明期に、海外勢を慌てさせるほどの活躍を残したスタリオンは、多くの人々に鮮烈な印象を残しました。

ちなみに、三菱得意のラリーにはグループBでの参戦を目指し、「スタリオン4WDラリー」が開発されていました。最高出力360psという強力なエンジンを持ち、生産台数はわずかに5台。市販車生産計画も中止となったため、幻のクルマとなっています。ラリーへはスポット参戦をするものの、1986年にグループBが消滅し、活躍の場はすぐに失われてしまいました。グループA規定になったWRCに、三菱はワークス体制で「スタリオン ターボ Gr.A」で参戦。1989年にギャランが登場するまで、各地のラリーで健闘しました。

中古車価格は高騰中

三菱・スタリオンは、特徴的なデザインとサーキットでの活躍などのヒストリー、そして映画やドラマでの劇中車としての活躍、そしてパーツの入手のしやすさなどにより、中古車価格は高騰しています。国内流通量は10台未満と少ないですが、どの個体も120万円以上の値段が付いています。入手の際には、クルマの状態はもちろん、お店とのコミュニケーションが今後も十分に取れるか、という点も焦点となるでしょう。

三菱最後の後輪駆動車として、今も多くの人々の心に残る名車、スタリオン。北米では、今でも元気にサーキットを走る姿を見られるそうですが、日本でもスタリオンが一台でも多く残っていられたら嬉しいですね。それでは、また次回の記事でお会いしましょう!

[ライター/守屋健]